ロシアの物流事情について

 

1.鉄道王国 ”ロシア ”

ロシア帝国では、モスクワ~サンクトペテルブルク間の鉄道が1842年に建設を始め、1851年に完成している。また、1872年にモスクワから東方への鉄道建設に着手、77年にウラル地方までの鉄道が開業している。

日本の鉄道は、新橋~横浜間が1870年建設開始72年開業であることから見ても、ロシア帝国の鉄道事業は世界的にも先駆者であった。

1891年には、皇帝アレクサンドル3世が詔勅を発して、シベリア全土を貫通する鉄道を敷設してこの地をロシアの線路に連絡させ、シベリアと他の領内との交通を便利にし、シベリアの平和的発達を図る希望を世界に知らしめると宣言した。

モスクワ~ウラジオストック間9,289km世界最長のシベリア鉄道が完成したのは1916年。皮肉なことにロシア帝国が崩壊しソビエト建国の前年のことである。

世界の鉄道線路延長トップ3を比較してみよう。

米国 29万3千km、ロシア12万8千km、中国12万kmであり、ちなみに日本は12位の2万6千kmである。地球の円周4万kmと比較して規模を実感していただきたい。

また、鉄道貨物輸送量のトップ3は、中国、ロシア、米国の順に拮抗しており、4位以下を圧倒している。

人口が、中国14億、米国3.3億、ロシア1.4億であることを考慮すれば、ロシアが世界一の鉄道王国、鉄道貨物王国であることが分かる。

2.シベリア鉄道を建設した日本人

 

シベリア鉄道は日本の歴史上にも重要な役割を果たしてきた。

金本位制を採用していた時期には日本の在外決済機関は全て英国ロンドンにあったことから、国際決済に要する手形は全てシベリア鉄道で輸送されており、国際金融の重要な生命線となっていた。日本は南樺太と朝鮮半島を統治下としていた頃はロシアとは陸で繋がっており、朝鮮からシベリア鉄道経由で欧州行国際列車が走っていた。

また第二次世界大戦勃発までは、日本各地(途中は船へ積み替え)から朝鮮(朝鮮総督府鉄道)、日本の実質的支配下であった満州国を含む中華民国(南満州鉄道)、そして欧州のローマ、ロンドンなどに至るまでの国際連絡運輸が行われており、それら各地への切符を主要駅で買う事ができた。

松岡洋右外相は日ソ中立条約を結びシベリア鉄道で帰朝する際には、スターリンにモスクワの駅頭で見送られた。

戦後のソ連によるシベリア強制抑留により、70万人から120万人の日本軍人及び民間人が、満州、朝鮮、樺太、千島から拉致されて収容所送りとなり、極寒と飢えの中で重労働を強いられ、死亡したものは7万人から40万人以上とされるが、未だに人数も氏名も明らかになっていない。

鉄道建設労働に携わった日本人は、ソ連資料によれば15万人とされる。バイカル湖西のタイシェットから、アムール河口太平洋側のコムソモリスクまでの第2シベリア鉄道(バム鉄道)やシベリア鉄道とバム鉄道をつなぐウルガル線などの建設である。

私の父は陸軍機械学校鍛工科卒の技術軍曹であったが、抑留され4年余にわたり鉄道建設労働をさせられて昭和24年の10月に舞鶴港に帰還した。

私は父の死後、これまで3回にわたりシベリアの抑留地を日本人死没者の慰霊に訪問しているが、鉄道はもとより、抑留者が建設した多くの建造物が75年余を経て今でも活用されている様子を見て、日本人は随分と良い仕事をしたなと思う。

ウルガル線を行く貨物列車
テルマ村の木造2階建て集合住宅

3.アジアと欧州を結ぶ物流の大動脈シベリア鉄道

私は、平成7年4月から平成31年4月まで富山県議会議員を務めたが、その間の政策課題として取り組んだ一つが、「富山の港を起点とする」「シベリアランドブリッジ」である。

下の図は、横浜、神戸、釜山を経由して伏木富山港からウラジオストックにコンテナ船で輸送された貨物が、シベリア鉄道により、モスクワを経て最終目的地のポーランドまで輸送する実証輸送の図である。

このルートは、ロシアの船社FESCOと商船三井等日本企業の合弁会社により、日本から欧州までの一貫複合輸送が実現されており、スエズ運河経由が40日以上かかるのに対して20日以下で輸送することができた。

新型コロナ感染症の蔓延により、世界中で宅配の需要が急拡大し、また、スエズ運河でコンテナ船の座礁事故もあって、シベリア鉄道経由の需要が急拡大している。

富山県のシベリア鉄道実証輸送


シベリアランドブリッジと中欧班列

上の図は、国交省が作成した図であるが、日通は赤い線で示されたルート「中欧班列」で日本から欧州へのコンテナ輸送を行っている。

青のロシアルート「ロ」と赤の中国ルート「中」とは違いがある。

  • 「ロ」がウラジオストック荷揚げ後はコンテナの積み替えなしにベラルーシ・ポーランド国境まで直行するブロックトレインなのに対して、「中」は港に荷揚げ後、内陸のターミナルで積み替え、モンゴルでも積み替えて同地点まで行く。2回も余計な積み替えが必要である。
  • そのため日数は、日本発の場合中欧班列のほうが余計に必要であるが、日本企業が中国に製造基地を持っている場合には、中欧班列が優位になる。

中欧班列は、中国の一帯一路という世界制覇の対外戦略の一環であり、そのルート構築のため中国資金を貸し付け返済できないときは接収するというあくどい手を使っている。そのため、中欧アジアの国からは反感も出始めている。

 

4.将来有望な北極海航路





ロシアの北極圏域は、ヤマル半島の天然ガスが大規模に開発され、日本も政府機関であるJOGMECが出資をするなど開発に参加している。
 
上の図は在日ロシア通商代表部作成のものであるが、2035年には北極海航路が「欧州・アジアを結ぶ帰還輸送路」となるロシア政府の目標を示している。
 
日本企業もこの事業に参画しており、三井造船はLNG砕氷船を既に2隻建造し、ヤマル半島からカムチャッカまで輸送し、カムチャッカでは一般のLNG船に積み替えて日本に天然ガスが輸送されている。
上はロスアトム所有の原子力砕氷船であるが、温暖化で北極海の氷は多少減少しており、隻数をどんどん増やして冬の期間も航路を確保している。

 

最新情報をチェックしよう!
>MiraiProject 山辺美嗣(やまべみつぐ)

MiraiProject 山辺美嗣(やまべみつぐ)

政治・行政プロジェクトのコンサルタント

日本の未来をつくろう!
通産官僚・国連職員を経て、地方議員歴24年
ノウハウと知見のすべてを発信してまいります。
日本の未来に真剣に取り組む方の
お役に立つことを願っています。

CTR IMG