人生の振り返へり|東京富山県人誌の辰年特集に寄稿しました

 

「人生の振り返へり」

公共政策コンサルタント
NPO日露経済文化交流会理事長
元富山県議会議長 東京福野会

山 邊 美 嗣 (南砺市出身)

 

年男の節目に、これまでの人生を振り返ってみました。

【国家公務員】

大学に入って間もない頃にローマクラブ「成長の限界」を読んだことがきっかけで、資源開発を専攻し通産省に入りました。いわゆる官僚から始まった職業人生は最初から部下がいる激務でしたが、日本を豊かな国にしたいという志ある仲間と昼夜を厭わず没頭して過ごしました。

その中には海外勤務もあり、ジュネーブにある国連貿易開発会議事務局へ日本政府から派遣され、他にも金属鉱業事業団に出向しニューヨーク事務所長を務めました。国連で文書の修正をしてくれたエディターが英国人でしたので、書き言葉はイギリス英語、話し言葉はニューヨークなまりのアメリカ英語になりました。

【富山県議】

世界情勢を肌で学ぶ中、「地方の重要性」が十分に認識されていないと考えていた矢先に、故郷から県議会議員への出馬要請をいただきました。議員活動で思い出すのは、まずは地産地消です。この政策を日本で最初に取り組んだのは富山県で、その提案者として今日の全国的な広がりには感慨深いものがあります。また地方議員がロシア政府と直接交渉するという勇ましい経験も私のエポックとなりました。伏木富山港は日本海側のメインポートになりうると考え、シベリア鉄道を活用した輸送ルートに取り組んでの一環でした。

私はシベリア鉄道には特別な思いがあります。父は満州で終戦を迎えソ連に4年間抑留されました。シベリア鉄道敷設の重労働を課され多くの日本人が亡くなりました。父と同じく帰国できた方々、命を削って鉄道を築いた方々のためにも、この鉄道を日本のために役立てなければ申し訳ないと考えています。

NPO日露経済文化交流会は、県議引退後に日露の平和的な共存共栄を目指そうと設立しました。残念ながらコロナやその後のウクライナ紛争で、NPOの活動は現在国内にとどまっています。ただ隣国ロシアとの関係を重視する多くの同志がいることは心強い限りです。

【家族】

県議引退の後は子や孫のいる関東に転居しました。4人の子ども達は皆家庭を持ち、今では5人の孫に恵まれじぃじの幸せを実感する毎日です。私は県議2期目に先妻を事故で失い、我が家は悲しみだけの日々を過ごした時期があります。その後の再婚で我が家は7人(私・子3人・母)+(妻・子)で再スタートしました。再婚に関しては政治的な意図からか、選挙時などにデマを拡散されるなど、子ども達までもが心を傷める年月が続いた事を思い出します。それから二十余年、バッシングにじっと耐えて家族を大切にしてきた妻千賀子には感謝しかありません。

ところで72歳男性の平均余命では私は86歳まで生きるようです。まだまだ先のある人生に備え、スポーツクラブ通いも日課となりました。皆さまもどうぞお健やかに。またお会いしましょう。