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シベリア抑留

シベリアの村々との交流

旧ソ連、モンゴルの各地と日本の市長村の姉妹都市、友好都市交流は、いくつかを数えることができる。そのうち抑留者の収容地もあるが、多くの収容所があった地域は辺鄙な村々であり、ロシアの中でも発展から見放されている。 ソ連がペレストロイカにより鉄のカーテンを […]

カザフスタンに日本人抑留者が遺したもの 

旧ソ連・モンゴルに抑留され、厳しい環境下に置かれながらも、日本人抑留者たちは手を抜かず、ひた向きに、真剣に作業に取り組み、カザフスタンに様々なものを残していった。アルマティでは日本人抑留者の建設した科学アカデミーや旧国会議事堂などの建物がいまもなお現 […]

シベリアに築いた抑留者の遺産~その3~集合住宅

テルマ村は、ウルガル線の建設基地として1930年代後半から村が作られました。鉄道建設はドイツとの東部戦線に多くの男たちが取られ、中断したり、線路が資材として剥がされたりして遅々とした進捗だったそうです。 本格的にウルガル線の建設が着手されたのは、戦後 […]

シベリアに築いた抑留者の遺産~その2~給水塔

この構築物は何でしょうか?ウルガル線テルマ駅の近くに建てられた給水塔。同じ構造のものがテルマ村の丘の上にもあります。今でもこれらのタンクから水道が供給されています。 テルマ村の鉄道博物館には、この給水塔を建設する日本人抑留者の姿を撮った写真がありまし […]

旧ソ連とモンゴルにおける抑留遺産:公共建物、土木構築物

ハバロフスク地方以外の建造物 私が訪問しているハバロフスク地方以外にも、多くの地域に抑留者の作った建築物が残されている。 これらには、極寒の地での強制労働にもかかわらず「日本人として恥ずかしくない仕事をしたい」という抑留者の日本人の誇り、日本人魂が発 […]

シベリアに築いた抑留者の遺産~その1~シベリア鉄道ウルガル線

ソ連の資料によると全土で15万人の日本人が鉄道建設に投入されました。 私の父もウルガル線建設に4年余のあいだ強制労働をさせられました。 上の写真はシベリア鉄道ウルガル線を通過する貨物列車を私が撮影したものです。 強制抑留の苦難の中にあっても日本人の気 […]

ソ連からロシアへ 指導者たち

山辺美嗣です。 光陰矢の如し 戦後76年の歳月は歴史上の人物の実像を知ることを困難にします。それはロシアにおいても言えることであり、若者にソ連時代の記憶は薄くなってきています。まして日本においては、多くの戦後世代にとってソ連は行ったことのない国でした […]

なぜ、今、ロシアか?

  ロシアが重要な理由は何でしょうか ? 第1に 自由主義、民族自決主義(※)の国であり、共産党独裁に決別した民主国家であること、 第2に 人口1億4千万人、世界最大の国土と世界最大の石油ガス資源を持つ隣国であること、 第3に シベリアのモンゴロイド […]

父のシベリア抑留

シベリア鉄道ウルガル線を走る貨物列車(筆者撮影)   1.はじめに  日本人の抑留は、不条理極まりない国際法に違反するスターリンの蛮行でした。加えて、抑留者は酷寒、餓え、疲労、病魔が襲う地獄の日々を体験しました。しかしそのような環境下にあっ […]