日本の経済社会の大きな転換点は、バブル崩壊でした。
戦後の復興から高度成長をはたし、二つのオイルショックを乗り越えて、一貫して成長をつづけた日本経済は、世界から奇跡と見られていました。そして1980年代には株、投資ファンド、土地、マンション、リゾート開発などに異常ともいえるほどの投機的なお金が集まりました。しかし膨らむだけ膨らんだ風船は限界に達して、ついに1990年には株価の大暴落によって破裂したことはご存じのとおりです。
バブル経済の崩壊は、政治にとっても大きな転換点でした。「官から民へ」「国から地方へ」をスローガンに、新たな成長分野として「民間の公的投資」や「地方」に焦点をあてた政策が動き出したのです。
新たな「地方」政策は、その後30年間にわたってどんな経緯をたどったのか、地方にとって効果があったのか、探ってみましょう。
「地方」政策を転換した国のおもわく
バブル崩壊のあと国がとった政策は「景気対策」でした。つまり、景気が悪くなっているときは公共事業をすれよいと考えたのです。ときあたかもGATTウルグアイラウンドの結果を受けて、日本の農業市場を開放するために農業基盤を強化する必要があったので、農業への公共投資をどんどん増やしました。しかし一向に景気回復の気配はみえず、ついには1994年の政権交代につながります。
そのころには官民の汚職事件も重なっており、マスコミが古い中央集権の政治からの転換を求めるキャンペーンをしたため、「民間でできることは民間に」「地方でできることは地方に」、「官から民へ」「国から地方へ」のムードが日本社会のコンセンサスとなっていきました。
これに対して国も、長引きそうな平成不況というピンチを何とかしてチャンスに転じようと考えたと思います。景気後退によって長期に税収が減退することはなんとしても阻止しなくてはならない。財政支出を民間に肩代わりしてもらって国の支出を抑え、バブル崩壊で投資に消極的になっている大企業ではなく、中小企業を中心とする地方経済に新たな投資を呼び起こすことで経済を活性化して税収入の増加を図ろう。この様に考えたと推測されます。
政権交代した期間の、1995年に地方分権推進法が、1999年に地方分権一括法が制定されて、戦後初めて地方分権の法制度ができました。
地方分権のその後の推移をみるまえに、戦後の地方自治をふりかえります。
戦後50年にわたって、国に負け続けた地方
1946年11月に制定され翌年5月に交付された日本国憲法には「地方」のことが具体的に何も書いてありません。都道府県も、市町村も書いてありません。「地方自治の本旨は法律で定める」それだけの規定です。
そもそも近代憲法は、どの国においても国民が参加する憲法制定会議で起草されてきました。しかし、残念ながら占領下にあった日本は、政府の参画さえもわずかであり、連合軍司令部の主導により、国民の参画は皆無の状況で憲法が起草されました。
憲法の規定により、地方自治の本旨を定めるとされた「地方自治法」は、戦前の都道府県制度、市町村制度を寄せ集めて国会で決定され、憲法と同時に1947年5月に施行されていますが、中央主権制度を引きついだのものでした。
その後地方は、50年にもわたって、地方自治制度の改正を要求するのですが、国(内閣と国会)は動かず、何一つ実現できませんでした。それが、瓢箪から駒です。バブル崩壊で急に動き出したのです。
1995年地方分権推進法制定のあとも、国に負け続けた地方
目標の定まらない国の地方政策
国の迷走ぶりは、つぎに並べる地方政策の名称の変転をみれば、一目瞭然です。そのたびに「大綱」をつくり「法律」を改正し「予算」を改編していますが、おもいつきで名称を変えて国の仕事を作っても成果はほとんどありません。
平成13年地方分権改革 平成15年三位一体改革 平成18年道州制推進 平成22年地域主権改革 平成24年地域主権推進 平成25年地方分権改革推進
このうち、平成18年に始まった道州制推進政策は、平成28年に自民党の道州制推進本部が解散して実質的に消滅しました。また、平成25年からの地方分権改革推進政策は現在まで継続していますが、大きな争点がなくなっています。とりわけ三位一体改革は、目標にした地方の財政自立にたいして逆効果でした。国は「地方自治」の実現ためという錦の御旗をかかげ、「国が主導」して政策を打ち出しては数年で改変し、結果「地方に自治権のない」「国が主導する地方自治」が現在も続いています。
国が主導した市町村合併
平成の大合併は、「統治能力のある一定規模以上の基礎自治体を形成する」ことを目的に、国が主導して推進されました。平成9年からは合併すると地方交付税を増やす、合併しないと地方交付税を減らす、アメとムチを使いました。また平成11年からは、合併すると最終的に国が財源を出してあげる特例債を認めるという「オマケ」の資金もつけました。その上、平成17年には合併特例法を改正して「知事が合併を指導できる」と市町村への強制権がある制度にしました。
小さな市町村は、その地域の中心市に吸収されて役場を失ない、地域は求心力を失って衰退につながるなどのマイナス効果もあるようです。一方、国は地方交付税の総額を減らす三位一体改革も同時におこないましたので、合併した地域へ国からくるお金は結果として減ることになりました。つまり、合併にかかわらず全ての地域はお金の獲得競争に負けたのです。
国は支出を抑制して財政を改善するもくろみが成功し、地方は苦労した挙句に地域が活力を失ったといえます。
地方の唯一の勝利、2000年「機関委任事務の廃止」
負け続けの地方自治ですが、ただ1つの勝利は機関委任事務の廃止です。戦後50年以上にわたり地方が廃止を求めてきた機関委任事務とは、「一定の国の事務については知事を国の機関とみなして支配下におく制度」です。パスポートの発給や飲食店の営業許可など、対象は562件にも達しており、都道府県は実際のところ、予算をもらって国の配下で動いていたのです。
2000年、地方分権一括法が施行されてようやく廃止となりました。これ一つを見ても、古い中央集権制度を廃止することがいかに困難かを理解していただけることかと思います。
国が財政をにぎっているかぎり、権力をはなさないかぎり、地方の自立へのみちのりは遠いということも理解していただけると思います。だからこそ、地方は連帯して取り組まなければならないと強調させてください。