自民党からの政権交代はいつ?危機に直面する日本

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このブログでは過去の政権交代を分析して、なぜ政権交代が起きたのか、政見交代を成立させるにはどんな条件が必要なのかを検討します。

また現在の日本はかつてないほどの危機にあり、このブログではそのことにも触れています。国民の多くは将来が展望できなくなっており、戦後の復興を果たした先人たちの苦労が消え去ってしまうかもしれないような「外からの危機」と「内なる危機」に直面していると思うのです。

そして総選挙は、国民が国の行く末を決める唯一の機会であり、意思決定にあたっての判断材料をこのブログで提供できればと考えるものです。

過去の政権交代はなぜ起こったのか

1947年に現在の日本国憲法が成立し、政党の枠組みが固まった1955年以降において、首相の所属政党が変更になる政権交代は1993年、1994年、1996年、2009年、2012年の計5回起きています。

自民党政権が衆議院総選挙において過半数を割り政権を渡しての下野は、1993年と2009年の2つのケースになります。この時の状況を分析します。

一方、他の3つは非自民連立政権から自民党が政権を奪還したケースになります。特に2009年に下野した際は、今後20年は政権を取り返すことは出来ないだろうと言われていたなかで、わずか3年後に自民が政権復帰したケースであり、2012年の政権交代に分析を加えたいと思います。

1993年に政権交代した理由とは

55年体制になってから38年間も継続した「自民党単独政権」が崩壊したのが1993年の政権交代であり、それ以降今日まで31年に亘り「連立政権」の時代が続いています。

つまり、1993年は日本の政治史、政党史において「分水嶺」となった年と言えます。

この政権交代は次のようにまとめることができます。

1993年の政権交代の原因
リクルート事件や東京佐川急便事件など政治賄賂スキャンダルによって、自民党に対する信頼が失墜したこと
自民党を割って出た新生党や、日本新党、新党さきがけといった新らしい政党と、日本社会党が合流して野党連合を形成したこと
政治賄賂スキャンダルは、それ以前にもいろんな形態で事件化していましたが、この2つの事件は大きく国民の批判を集めました。
「公開前株式の事前配布」という現金でない賄賂が1企業により広範に国会議員にばらまかれた事と、「政治団体を隠れ蓑に」禁止されている企業献金が実質的に賄賂として1企業により広く国会議員にばらまかれた事で、この2つの事件は新手の組織的な企業犯罪として世間が注目することになりました。時あたかも「バブルが崩壊して」景気が悪化し始めた時であり、特権階級である国会議員が裏金で私腹を肥やしている様に国民の怒りは強かったのです。
羽田、小沢ら自民党の有力議員が新党を作り、細川、武村ら知事たちも新党を作って総選挙で大躍進を果たすと、万年野党であった日本社会党も目が覚めたように左派と右派が合同して非自民の連立に加わりました。こうして戦後初めて与野党の数が逆転したのです。日本でも政権交代が起こることを示し、連立政権のダイナミズムが生まれたのでした。

2009年の政権交代は何があった

1993年の政権交代は連立内部の路線対立によりわずか1年余で崩壊し、その後は自民中心の連立政権が続いていたのですが、世界的に景気が停滞したことに自民党の組織力が弱まったことが重なって、2009年の政権交代が起きました。
この政権交代を簡単にまとめると次のとおりです。
2009年の政権交代の原因
リーマンショックの影響で自動車の対米輸出が不振になるなど、大きく景気が落ち込んだことに政府への不満が高まっていたこと
自民党が支援組織である全国郵便局長会を切りすてる一方で、民主党が連合と一体化したことにより組織力が逆転したこと

1993年と2009年の事例を見て分かるように、政権交代は以下の2つのことが重なって起きているのです。

  1. 国民の与党への不満 
  2. 与野党の組織力の逆転

特に小泉政権の「郵政解散総選挙」によって自民が支援組織を切捨てたことにより、一時的に国民の人気は得たけれど組織力を大きく削がれた事は取り返しのつかない痛手でした。

2012年の政権交代には理由があった

政権交代があった2009年当時は、批判する野党がすごく好まれていました。総選挙直前であった2008年~2009年前半の民主党は、徹底的な政権批判をして「政治の刷新」を掲げ、国民の支持を集めたのです。その野党を、当時の有権者はそれがあるべき姿だと考えていたわけです。

ところが政権交代してみると、国民の関心は政権の政策実現能力に向けられていきます。寄せ集め政権では、重点政策も絞り切れず政権運営能力も不足しているため効果的な政策が形成できなかったのです。

この間に、新しい衆議院選挙制度である小選挙区比例代表制度の下で、自民と公明は選挙協力と政策協定を確立して新しい連立基盤の形成に成功し、3年で政権を奪還したのです。これが2012年の政権交代の理由です。

現在の野党はかつてとは全く違う、維新の会や国民民主党がやっているような、「是々非々」というアプローチが今までなかった路線となってきました。閣外協力により予算の賛成も含めて、与党に対して「反対するところは反対する」けれども基本的には賛成するというスタンスです。この動きは政党に限らず、連合もその方向を模索しているように見えます。

是々非々路線のこれからは未知数ですが、有権者の考えも「反対野党ではダメ」という方向に流れていることは、維新、国民民主、参政などリベラルより少し保守系の政党に対して支持が伸びていることで分かります。

こうした野党が「是々非々路線」で与党に対して政策の修正を促していくことを、有権者は求めているのではないかと世間で言われ始めています。しかし是々非々路線の政党が「連立の組みなおしを通して」「政権交代になる」までには時間が必要と思われます。

今回の東京都知事選挙でも、国民民主は「共産党が支援するなら蓮舫陣営には参加しない」と言い切りました。与党を倒すためなら「多少の政策の違いには目をつぶって一緒にやっていく」ということはもうしないようです。政策の一致がないと互いに協力しないのですから、自民と公明が行ってきたように新たな連立には政策一致を築くまでの時間が必要とみられます。

自民党からの政権交代はいつ?危機に直面する日本

参議院本会議場

日本の危機

政権交代の判断基準が、「どの政党が政権を担うのか」から、「どの政策を実現実行するのか」に移ってきているように思えます。

なぜなら日本が直面する危機は厳しいことを国民が認識しているからではないでしょうか。

安全保障政策、生産性の向上と経済成長、少子高齢化対策の3点について視点を整理します。

安全保障政策

安全保障政策は「領土を守り」「国民の命を守り」「施政権を確保する」ための基本中の基本となる政策です。

第2次大戦の敗戦後、未だに日露間には平和条約が結ばれておらず、北方領土問題が残されています。また、平和条約を締結して領土問題は存在しないはずの韓国や中国が、一方的に竹島や尖閣諸島の領有を主張している問題もあります。また、核開発をめぐる北朝鮮の緊張もあり、中東でのアラブとイスラエルの紛争も再燃しています。

こうした課題に対処する安全保障政策について、国民は決して油断していません。危機はすぐ隣にあると認識していおり、リベラルな政策に頼ることはしないでしょう。

政権の選択は、日本国民の生存の問題に直結すると国民は認識しているように思えます

生産性が向上せず経済成長率のランキングが低迷

直近の極端な円安の進行により、日本の「円安貧困」が話題になっていますが、安直に「円安対策」を進めたりしないよう、政策の選択を誤らないようにしたいものです。

なぜなら円安という為替レートの変動は、通貨の交換率ですから「結果」にすぎません。日本が貧困になっているのは、円安だからではなく「日本が成長していない」からであり、求められているのは経済成長政策です。

日本はかなり以前から「輸出力が衰退しており」「人口が減少する一方の内需に経済が依存している」ため、構造的に成長できなくなっています。

経済成長政策とは「海外で競争できる製品とサービスを生産する」輸出政策と、「日本人の労働を生産性の高い分野にシフトして人口不足をカバーする」人材活性化政策のことを指します。

これらの政策を、中小企業政策にも地方経済の活性化にも、農業にも水産業にも打ち出して、実行できる政権が現れることを国民は望んでいると思います。

少子高齢化の対策が無い

若い親世代の職場環境はかつて無いほど過酷なものになっています。賃金水準、労働時間、通勤時間のいずれも悪化をたどってきました。その結果、結婚率が低下し、出生率も低下して少子化が進行する悪循環が進行しているとも言えます。

社会人として求められる技能と技術はめざましく変化しています。教育制度がそれに追いつかず、単純労務の人材として位置づけられ低賃金にあえぐ人々が多く存在しています。もはや個人の責任でなく教育政策の不在が能力開発を怠っている状況なのだと感じます。

高齢人材の活用は、若手の登用や老齢年金との関連で今まで語られてきました。定年退職制度は、人口増加の時代に若手に職を回すために高齢者が身を引く制度です。まだ働けるのに引退する、そのご褒美に年金をもらうのです。今や人口が減少しておりこの仕組みは無用です。社会に役立つ限り、日々人は働き続け労働の喜びを得ることが出来ます。このことは高齢者に限らず、女性、障害者についてもあてはまります。

生涯にわたって社会に役立つことは喜びであり、人間としての尊厳だと思うのです。